英語の勉強を通じて論理的な思考力を身につける

英語の勉強を通じて論理的な考え方を身につける

英語を学ぶことの大きなメリットの一つに、英語特有の論理的な構造を通して、論理的な思考力が身につくということがあります。

論理的な思考力が身につけば、そこから勉強する英語の学習効率もさらに向上するという好循環が生まれます。

英語は「正確に気持ちを伝えたいという」意識から生まれた

英語が論理的だと言っても、難解な内容を理屈をこねくり回して伝えるということではありません。
逆に「簡単でわかり易い」「筋が通っている」「意味が正確に伝わる(意味の揺らぎが少ない)」といった事が英語が論理的だと言われる所以です。
これは、文章構造だけではなく、そのように伝えようという意識が強いという面も含みます。

ヨーロッパで生まれた英語は、風習や文化の異なる様々な人の間でも正確に意味を伝える必要があり、現在のような論理的な構造を重んじる言語に発達していったのです。

この論理的な考え方は、日本語を使う場合においても十分に応用することができます。また、最近の日本語は、欧米からの様々な文化(映像や翻訳文)の流入によって、随分と論理的な構造の文章が増えているのも事実です。

英語と日本語の違い

これは単純にどちらが優れているとか劣っているといったことではなく、どちらにもそれぞれメリットやデメリットがあります。

論理性に優れた英語を使えば、仕事や生活の効率を向上できますが、その反面、行間に意味を持たせるとか、受け手によって感じ方が変わるといった情緒や味といったものが少なく、面白みに欠けます。日本の俳句や短歌といった、単純化により行間に深い味わいを持たすような表現は苦手です。

つまり、日本語を使いこなす私たちが、これから英語を学ぶことで、この両方の「良さ」を自由に使えるようになれば一番理想的です。

中国に見る日本語との共通性

最近の東シナ海での中国とアメリカの攻防を見ていると、この言語による民族性の違いを端的に感じることができます。

一見、どちらも自分の主張を一方的に押し付けているだけように見えますが、中国の主張は感情的で論理性はありませんが、アメリカの主張にはルールに基づいた確固たる論理性が存在します。

このアメリカの論理的な主張というのは、絶対的な正義というものばかりではありません。あくまで自国の利益になるかどうかという物差しが根底にあります。
ただ、論理的であるがゆえに、今後どのような状況になったとしても、自国が大きな不利益を被る可能性を限りなく低くすることができます。

対する中国の「面子」といった感情に基づいた考えから出ている行動は、たとえ自国が不利益を被ろうとも、断固として行動するという危険性をはらんでいます。考えや行動が極端で一方的な方向に偏りやすのです。

論理性の貧弱さで損をする日本

これは我々日本人も同じで、戦争となれば「一億玉砕!」、戦争放棄となれば「戦力を完全に放棄しろ!」と極端な考えに偏りがちです。

普段の生活でも、「あの人にお世話になっているから、この案件には反対できない」とか、「仕事は終わっているけど、上司より早く帰るのは気がひける」といった、感情を優先させた生産性を下げる行動が当たり前のように繰り返されています。日本の最大の資源は「人」ですから、このような無駄遣いは国を滅ぼしかねないのですが。

論理性を身につける方法

あなたが英語を通して「論理的に考える」という習慣を身につければ、周りの状況を感情に左右されず、正確に把握できるようになります。
その情報に基づいて、メディアや影響力のある人の意見に左右されず、自分にとって一番有効な答えを導き出すことができるようになります。

この「論理的に考える」というスキルは、始めにも書いた通り「簡単でわかり易い」「筋が通っている」「意味が正確に伝わる(意味の揺らぎが少ない)」という類のものですから、何も頭の良い人だけが身につけられるという特別なスキルではありません。簡単に言えば「習慣」とか「癖」に近いもので、練習次第で誰でも扱えるようになります。

その練習の中でも「英語の勉強」は、「論理性」を身につけるためのオススメの方法です。多くの場合、英語を自由に操れるようになるより先に、論理的な思考力を身につける事ができるでしょう。