街で道に迷っている外国人、特に白人や黒人に、英語で急に話しかけられると多くの日本人は、あせって軽いパニックに陥ってしまいます。
相手がせっかく片言の日本語で話しかけているのに、「おーソーリー、私、英語ハナセマセンっ」と冷や汗をかきながらそそくさと逃げ出す人までいます。
英語以外の言語は怖くない
ところがこれが見かけがアジア人の人に、韓国語や中国語で話しかけられると、「なに言ってんだよ、ここは日本なんだから日本語を話せよ」とちょっと横柄な態度で余裕しゃくしゃくです。
アジア系と白人を心の底で差別しているのかなと思いきや、同じアジア系の人でも、話す言葉が英語になるととたんに弱腰になってしまうので不思議なものです。
どうも、我々日本人は英語圏の人達に、なんとも言いようの無い歪んだ劣等感のようなモノを持っているようです。
この原因を考えてみる前に、英語ではなく中国語や韓国語で話しかけられた場合を想像してみてください。
「何だ、中国語か、それなら全然わからくて当然だよ」といったちょっとした心の余裕が感じられませんか?
また今度は、前から白人女性が地図を見ながらキョロキョロしつつ歩いてきます。「ちょっとまってよ、話しかけられたらやばいよ」とドキドキしてきませんか?
ところが、この白人女性が英語ではなく、プーチン大統領が話すようなロシア語で話しかけてきたとすればどうでしょう。「ロシア語は分からないよ」とちょっと幾分ほっとした気持ちになりませんか。
ここに、英語圏の人に話しかけられるのが怖い原因があります。つまり、英語がしゃべれない事は恥ずかしい事だという気持ちが隠れているのです。
英語ができないのと泳ぎができないのは同じ
これは、泳ぎが出来ないといった時の恥ずかしさににています。水泳は誰でも小学校で習うので、泳ぎが出来ないというのは、単純にその人の能力が不足している事を物語ります。
同じく、英語も中学校の3年間でその基本的な部分は誰でも勉強しています。つまりイタリア語や中国語は、意志の力でやらなかったという言い訳が通じますが、誰でもその機会が平等に与えられている英語ができないのは、その人の能力が不足しているという事になり、逃げようのない劣等感を感じさせられるのです。
英語恐怖症の克服は英語をマスターする意外ない
そうなると英語恐怖症を克服するには英語をマスターするしかありません。といったらあまりにも分かりすぎていて面白みに欠けますが、これは紛れもない事実です。
ただ、分かりすぎているといっても、ただ漠然とした恐怖を抱いているのと、明確に理由が分かっているのでは大きく違います。
つまりこの恐怖をあきらめて受け入れるか、膨大な時間を掛けて英語を習得するか、二つの選択肢があなたに与えられているのです。